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隠居宅の緯度の決定方法
忠敬さんは深川黒江町の隠居宅の緯度を大気差を消去した 35度40分半 としました。どのように求めたかについて故大西道一さんの記者発表を引用して説明します。
大西説
恒星の視高度は地球の大気層によって屈折し浮上がって見えます。これが大気差(後述)です。大気差は天頂に行くほど小さくなり、高度90度で 0 になります。
大西さんは隠居宅で、天頂近辺で南中する星の高度を観測することで、大気差が影響しない緯度を決定できるのですが、観測する星の赤緯が分かっていなければなりません。
(式1.1)赤緯での緯度の決定の式で求められます。
下記の通り、天頂よりも南側、天頂近くで南中する恒星、
南中高度(h): h = 90°- L + δ
隠居宅の緯度(L): L = 90°+δ - h (南向き観測の場合)
no | 星名 | 赤緯(δ) | 南中時の高度(h) | 90°+ δ | 緯度(L) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 奎宿九 アンドロメダβ |
+35 37 14 | 89 56 44 | 125 37 14 | 35 40 30.3 |
2 | 北河二 ふたごα |
+31 53 18 | 86 12 48 | 121 53 18 | 35 40 30.0 |
3 | 七公内増七 うしかいδ |
+33 18 53 | 87 38 23 | 123 18 53 | 35 40 30.0 |
4 | 天津九 はくちょうε |
33 58 13 | 88 17 43 | 123 58 13 | 35 40 30.0 |
平均 | 35 40 30 |
伊能忠誨の全恒星全図で確認
国宝恒星全図部分(伊能忠誨) 千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵
1 奎宿九(アンドロメダβ)
2 北河二(ふたごα)
3 七公内増七(うしかいδ) 上図では「七公七」 |
4 天津九(はくちょうε) | 採用したのは織女か |
当会としては3等星の七公七ではなく1等星の「織女」ベガ(ことα)を北向きで観測 |
勾陳一では隠宅の緯度は決定できない
「天文簡要論(坤)」会田安明では、勾陳ー(最高)と最婢の高度を加算して2で割った値としています。
観測は寛政10年11月17日(1798-12-23)
【解読】
予の勾陳大星測量、寛政10年の冬至は11月15日未ノ五刻なり15、16の両日雨天なり。因って17日深川黒江町東河先生を訪れ彼名器を以て予が測量するところ左の如し。
17日夜勾陳大星ノ一測量
最高 37度27分
内蒙差1分18秒引
残 37度25分42秒
最婢 33度55分
内蒙差1分27秒引
残 33度53分32秒
深川黒江町北極出地 35度39分37秒半
・・・・・ 略 ・・・・・
□曰予は目測れずして適々見る故に東河先生の如く秘微(?)に至る迄、見□をには難し、
然れども度分迄では明らかんなり、古人の測量は甚だ粗にそ、今の精密なるを考え知る。
【解説】
冬至の勾陳一の南中時刻は 18時頃です。勾陳最婢は12時間後、翌日の 6時頃です。ただし江戸時代の1日は日出から次の日出までが1日であるため同日です。観測が12時間も差があると、気象条件(気圧、湿度)が異なるため大気差(蒙差)も異なります。さらに勾陳一、最婢は高度が低いため大気差は大きくなり、緯度を決定する星としては好ましくはありません。まだ赤緯で計算した方が正確と思われます。
大気差について
現在多くの伊能研究者は「大気差」に関する言及がありません。忠敬さんは233の恒星を子午線儀と象限儀を組合わせて観測しています。その観測値には大気差によって実際より浮き上がって観測されます。観測地の緯度は「緯度の決定方法」で述べた通り大気差を消去した値となっています。
大気差は天体からやってくる光が地表に届くまでに、地球の大気層によって屈折し浮上がって見える現象です。忠敬さんは「清蒙気」と呼んでいて、大気差は知っていました。
大気差は気圧や空気中の水蒸気濃度(湿度)で変化しますが、この原理は分からなかったようです。
以下の視高度と大気差の対応表は概値です。1分の誤差は地上では約1.8km の差になります。
視高度 | 90° | 80° | 70° | 60° | 50° | 40° | 30° | 20° | 10° | 0° |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大気差 | 0 | 0′10″ | 0′21″ | 0′33″ | 0′49″ | 1′09″ | 1′40″ | 2′38″ | 5′17″ | 34′23″ |
以下の近似式で求めた値です(大西さん提示)
大気差 ≒ 58 * tan(90 - h) (秒)
h:視高度
隠居宅での勾陳一(北極星)の観測データ
no | 和暦 西暦 |
観測高度 度 分 秒 |
時刻 | ||
---|---|---|---|---|---|
1 | 享和2年10月25日 1802-11-20 |
37 | 24 | 28 | 20:38 |
2 | 享和2年10月26日 1802-11-21 |
37 | 24 | 55 | 20:37 |
3 | 享和2年10月28日 1802-11-23 |
37 | 24 | 20 | 20:31 |
4 | 享和2年11月1日 1802-11-25 |
37 | 24 | 30 | 20:23 |
5 | 享和2年11月2日 1802-11-26 |
37 | 24 | 27 | 20:21 |
6 | 享和2年11月3日 1802-11-27 |
37 | 24 | 15 | 20:14 |
7 | 享和2年11月4日 1802-11-28 |
37 | 24 | 8 | 20:13 |
8 | 享和2年11月6日 1802-11-30 |
37 | 24 | 15 | 19:54 |
9 | 享和2年11月8日 1802-12-02 |
37 | 23 | 57 | 19:52 |
10 | 享和2年11月9日 1802-12-03 |
37 | 24 | 31 | 19:52 |
11 | 享和2年11月13日 1802-12-07 |
37 | 24 | 34 | 19:40 |
12 | 享和2年11月14日 1802-12-08 |
37 | 24 | 4 | 19:37 |
13 | 享和2年11月15日 1802-12-09 |
37 | 24 | 32 | 19:32 |
14 | 享和2年12月8日 1803-01-01 |
37 | 23 | 44 | 17:57 |
15 | 享和2年12月11日 1803-01-04 |
37 | 24 | 0 | 17:47 |
16 | 享和2年12月12日 1803-01-05 |
37 | 23 | 45 | 17:38 |
以下は勾陳最婢 | |||||
1 | 享和2年12月7日 1802-12-31 |
33 | 55 | 22 | 05:58 |
2 | 享和2年12月9日 1803-01-02 |
33 | 55 | 25 | 05:55 |
3 | 享和2年12月12日 1803-01-05 |
33 | 55 | 28 | 05:39 |
左表は第3次測量から帰宅して隠居宅で観測した約1ヶ月の勾陳一と最婢のデータです。
同じ値の日がありませんし、1分程度の観測誤差が確認できます。
同一観測者が同じ測量機器を使って観測しているにもかかわらずこのうような値ということは大気差の影響と思われます。
左記の平均地 37度24分16秒 (a) 1分16秒
勾陳最婢 33度55分25秒 (b) 1分26秒
(a) - (b) = 3度28分52秒
中心 =((a) + (b)) / 2
35度39分50秒(大気差を含む 1分21秒)
35度38分29秒
2分南になり会田安明の方法では隠居宅の緯度は求まりません。
それでは赤緯から緯度を求める(式1.2)で計算します。
緯度(L)= δ -(90 - h)
= 88度16分00秒 - 52度3分44秒
= 35度40分16秒 ±15秒でまるめると
= 35度40分半
目次
伊能測量隊の天体観測
緯度の決定方法
- 伊能測量での緯度の決定方法
- 1. 赤緯から緯度の決定方法
- (a) 観測対象の恒星が天頂よりも南側の場合
- (b) 観測対象の恒星が天頂よりも北側の場合
- 2. 比較法での緯度の決定
- 2.1 初期の記録
- 2.2 横須賀村から極差が記載される
- 2.3 第3次測量から更に記録の記載が変わる
- 2.4 比較法の計算式
隠居宅の緯度の決定
- 大西説
- 全恒星全図で確認
- 勾陳一では隠宅の緯度は決定できない
- 大気差について
- 勾陳一(北極星)の観測データ