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伊能忠敬はこの地を測量した

銚子 犬若

 伊能忠敬は寛政13年[改元されて享和元年(1801)]、「伊豆国より奥州まで、蝦夷地連続の海辺地図したてまつれ蒙台命こうむりだいめい、まず当国より相州・豆州へ発向しける」としたためて、4月2日、先ず江戸湾を南下して三浦半島・伊豆半島を測量して6月6日に一旦江戸にもどり、再度、江戸を6月19日(新暦7月29日)に発って江戸湾の房総側を南下して7月2日(新暦8月10日)館山の洲崎に到着。ここで富士山を測ろうとしたが天候が思わしくなく4泊してようやく富士山を測ることができた。続けて房総半島の太平洋側を測量して7月18日(新暦8月26日)銚子に到着。ここでも富士山を測ろうとしたが天候が思わしくなく9泊してようやく7月26日(新暦9月3日)富士山を測ることが出来た。

 その日の日記
「二十六日 晴天。此早朝、日出に犬若岬において慶助、富士山を測。着後十九日より富士山の方位を測らんと日々手分し、高きにのぼり遠へ出しけれど、日々蒙気おおくして見えざりき、此朝富士山を測得たり。そのよろこび知るべし。予が病気も最早全快に及べり。」

 右に掲載の画像は、管理人が215年前にバックトゥザフューチャーして伊能測量隊の一員となり、ようやく12月29日の早朝、犬若から富士山を撮影したものである。

 犬若岬から冨士山測量は伊能測量においてもっとも遠方からである。

刑部岬からの富士(500m望遠)

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