【new】2023年11月24日 15時から公開
天体観測データベース
第1から第3次測量で観測された恒星をDB化しました。
◆ 伊能測量に係わった方々のデータベース検索【伊能測量旅程・人物全覧】
◆ デジタルスタンプラリー「伊能でGo」
伊能測量関係資料の販売を行う「ECショップ」は終了
伊能測量日記だけは販売。お問合せ下さい。
新着情報新着情報一覧
- 2024年4月1日
- 伊能忠敬測量日記の販売を再開しました
測量日記原文と解読の販売を再開しました。
全28巻の原文、解読版ともセット、巻別の販売いたします。
販売にあたり入金は銀行振込み、現物は郵送いたします。購入される場合は当面「お問合せ」からお願いいたします。 - 2024年2月5日
- 日本のかたちを描く
2月5日から領土・主権展示館(内閣府)で「日本のかたちを描く」企画展示が行われています。
イノペドアをつくる会として、故渡辺さんが収集された「伊能英国小図」、英国海軍水路部「海図2347号」および渡辺さんの記載資料を提供しました。
副題「地図・海図編纂にみる領土・海洋認識の変遷」として日本海の島々(竹島、松島)に焦点があてられています。残念ながら伊能図にはこれらの島は描かれていません。
対馬から朝鮮半島の山々への方位線は描かれており後方交会法で測量されたことを示しており、最古の実測データと推測しています。 - 2023年12月31日
- 天体観測データベース記者発表およびweb公開
2023.11.24 富岡八幡宮に於いて記者発表を行いました。
当日は戸村から故渡辺一郎さんのweb公開の目的や意義、今回の天体観測DB公開までの経緯、本天体観測DBの概要の説明を行い、横溝からDBシステムの特徴を実演を交えながら説明。質疑応答が行われ17時前に終了。 - 2019年6月17日
- 富士山の方位測量(本土最南端)於三重 志摩 国府海岸
今は214年前の昔、1805年6月17日(文化二年五月二十日)、伊能忠敬を隊長とする伊能忠敬測量隊は、朝六ッ頃、三重県志摩市阿児町国府の海岸に出て富士山の方位を測った。結果は「丑二五分五〇秒~丑二六分 55.5度)だった。
写真は17日の朝、同じ場所から協力者が撮影したもの。ここからの富士山の方位測量は、伊能測量において本土最南遠端であった。富士山までは約204km の距離です。
このような様々の地点から直接的に見通せるランドマークに対する方位や、宿泊地から恒星の高度を測り緯度を決定し、正確な地図が制作できました。 - 2018年8月18日
- 伊能忠敬没後200年記念新聞特集記事
毎日新聞、高知新聞で毎月1回、特集記事が掲載されています。
●没後200年・伊能忠敬を歩く(毎日)
5月から毎月記念特集が掲載されています。
●伊能図を巡る-土佐の村々 今昔(高知)
5月から毎月記念特集が掲載されています。高知新聞は記者がロードサイクル(初心者)で測量隊のルートを辿りながら取材しています。(本記事はwebサイトでは見られなくなりました) - 2016年6月22日
- 1次測量蝦夷地上陸地点に伊能忠敬の銅像建立が地元の町議会で条例制定
伊能忠敬の蝦夷地測量は、当初の計画では三厩から箱館に上陸する予定あったが、東風(ヤマセ風)に阻まれて、9日間も足止めとなった。
その後、漸く三厩を出港したにも関わらず海上でまたまた風に翻弄され、やむなく松前領吉岡(現北海道福島町)に着岸できた(寛政12年5月19日<西暦1800.7.10>)。
北海道松前郡福島町の町議会は、このことを重く受け止め、伊能忠敬没後200年に当たる2018年、忠敬の銅像を建立することとし「町伊能忠敬北海道測量記念碑建設基金条例案」を6月21日に可決。
基金は趣旨に賛同する全国各地の人から寄付金を募るとのこと。
渡辺一郎さん死去にともなうご案内
2020年6月28日、90歳でしたが上部消化管出血のため急死され、伊能忠敬e史料館、令和の伊能大図をつくる会等、渡辺さんが会長を務める団体はコロナ渦と重なり混乱していました。
まだ完全に引継ぎは完了していませんが、残った3人で残務作業や渡辺さんが残された作業の継続を行っています。