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北極星はほとんど観測していない

北極星の観測状況

 現在多くの伊能研究者は「各地で北極星の高度と、多くの恒星の高度を測ることで、観測地の緯度を決定していた」していますが、下表の通り、全観測日数の1割程度しか観測していません。
 伊能測量隊は「北極星(こぐまα)」の語彙は使っていません。すでに述べた通り勾陳一こうちんいちと云っていました。

測量次 出発 帰着 測量日数 観測日数 勾陳一 勾陳最婢 勾陳一
観測率
勾陳二 勾陳三 備考
第1次 寛政12年閏4月19日
(1800.6.11)
寛政12年10月1日
(1800.12.7)
180 76 0% 測地度説 人之巻(写本)
第2次 享和元年4月2日
(1801.5.14)
享和元年12月7日
(1802.1.10)
230 104 22 1 22.1% 測地度説 地之巻(写本)
第3次 享和2年6月11日
(1802.7.10)
享和2年10月23日
(1802.11.18)
132 88 9 10.2% 17 8 北極高度測量記(原本)
合計 542 268 31 1 11.9% 17 8 ほぼ測量日数の半分は天測している

江戸時代北極星の語彙はなかった?

 伊能忠敬は記録魔と云われるくらい多くの文書類を残しています。伊能忠敬記念館で所蔵される2,345点の国宝類のほとんどが文書類でその中に北極星の語彙はまったく登場しません。正確には、現在の北極星(こぐまα、ポラリス)を北極星とは云ってはいません。

 北極出地度ほっきょくでちどは緯度の意味で使われており、勾陳一ではありません。
 江戸時代一般の人々は「妙見みょうけんさま」とか「北辰ほくしん」などと云っていたようです。
 北極星の語彙ができたのは、開港後 Polaris の直訳ではないかと思っています。
 右図は忠敬さんの孫の忠誨ただのりが描いた赤道北恒星図の北極点部分です。
 勾陳(一から五)、北極五星が描かれています。
 北極五星は北極 - 后宮こうぐう麃子ひょうし - 帝 - 太子 までラインが描かれています。
 勾陳一はピンクで強調、ラインも色付けしています。

勾陳・北極五星
赤道北恒星図部分(忠誨)
千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

200年前の北極星は北極点から結構ずれていた

北極点からずれた勾陳 現在北極星の赤緯は約89度15分51秒と肉眼では北極点で静止しているように見えます。 多くの伊能研究者はほとんど動かない北極星を伊能測量隊も観測していたと思い込でいるようです。
 測量隊が全国観測をしていた200年前、北極星の赤緯は約88.3度で北極点の周りを 約3.5度の直経の円を描いて回っていました。緯度1度の誤差は地上の距離では約110kmにもなり、北極星の高度を観測しても緯度を決定することはできません。「北極星とは呼べない」と大西さんは云われていました。
 右図は勾陳一部分です。ずれていることが分かります。赤い円は我々が記入したもので、1日で反時計回りに1周します。したがって昼間の部分で正中する季節は観測できません。


北極星を観測していない理由

 既に述べた通り、勾陳一に限らす、各恒星の高度は闇雲に観測しても緯度を決定することはできません。子午線儀で正中を捉え、象限儀でその時の高度を観測しなければなりません。

 勾陳一の場合、意識的に測量しなかった分けではなく、以下の述べるとおり、観測できませんでした。
1. 1年の内、ほぼ半年は昼間に正中しており観測できませんでした。
2. 夜に正中していても、一晩中(暮れ六から明け六まで)観測できるわけではありません。徹夜で観測すれば翌日の昼間の測量ができなくなります。
3. 割りと低い高度であり大気差の影響を受けるため特別な恒星ではなく、観測時間帯に正中すれば観測した。

 2次から3次、隠居宅での勾陳一の観測データは以下を参照してください。
観測した勾陳一
 西暦の観測日時、緯度と視高度差に注目してください。

北斗七星(柄杓星ひしゃくぼし)の観測

 第2次測量で下記ぼ通り観測しています。天㻢、天枢は日入前に南中していて観測できなかった。


北斗七星 揺光ようこう おおぐまη、アルカイド 3回
開陽かいよう おおぐまζ 、ミザル 5回
玉衡ぎょくこう おおぐまε 、アリオト 3回
天權てんけん おおぐまδ 、メグレス 2回
天璣てんき おおぐまγ 、ファクダ 3回
天㻢てんせん おおぐまβ 、メラク
天枢てんすう おおぐまα 、ドウベ


恒星全図部分(忠誨)
千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

太陽観測の実態

 太陽観測の実態について詳しく書かれた文献はありません。測量日記では単に太陽測量との記載だけで、観測データの記載はありません。多くの研究者は「南中高度を観測したのだ」で止まっています。故渡辺さんの監修で「伊能測量旅程・人物全覧DB」構築において、測量日別の「恒星測定」、「午中太陽測定」、「木星と衛星の凌犯測定」を分かるように記載するように指示されました。この日この地で観測したというだけで、それ以上の研究はできませんでした。
 北極高度測量記に唯一、太陽の南中高度と極差の記載があり、さらに観測地の緯度の決定データとして使用しています。北極星の観測回数より多いのは注目すべきです。
【注意】
 極差を出していることに注意してください。恒星と違って太陽の南中高度は毎日異なります。冬至から夏至まで測定すれば夏至から冬至は前半の値を使えますが、忠敬さんのことだから数年を掛けて冬至を起点として365日の南中高度を測定したことになります。残念ながらデータは残っていません。

no 観測地
現在地名
和暦
西暦
観測高度
度  分  秒
時刻 極差
度  分  秒
太陽での緯度
度  分  秒
隠宅での高度
度  分  秒
決定した緯度
度  分  秒
1 羽州最上郡新庄城南本町
山形県新庄市
享和2年7月12日
1802-08-09
67 11 20 11:44 3 5 20 38 45 50 70 16 40 38 45 30
2 羽州山本郡能代湊萬町
秋田県能代市
享和2年7月25日
1802-08-22
61 52 20 11:40 4 31 56 40 12 26 66 24 16 40 12 30
3 羽州山本郡能代湊萬町
秋田県能代市
享和2年7月26日
1802-08-23
61 32 45 11:42 4 31 2 40 11 32 66 3 47 40 12 30
4 羽州山本郡能代湊萬町
秋田県能代市
享和2年8月1日
1802-08-28
59 49 42 11:41 4 31 10 40 11 40 64 20 52 40 12 30
5 羽州山本郡能代湊萬町
秋田県能代市
享和2年8月3日
1802-08-30
59 6 37 11:40 4 31 47 40 12 17 63 38 24 40 12 30
6 奥州津軽郡弘前城下士手町
青森県弘前市
享和2年8月9日
1802-09-05
56 55 10 11:37 4 55 36 40 36 6 61 50 46 40 35 40
7 奥州津軽郡三厩村
青森県外ヶ浜町
享和2年8月19日
1802-09-15
52 10 30 11:32 5 30 17 41 10 47 57 40 47 41 12 0
8 羽州秋田郡土崎港
秋田県秋田市
享和2年9月6日
1802-10-02
47 0 26 11:28 4 3 31 39 44 1 51 3 57 39 45 0
9 越後國三島郡出雲崎
新潟県出雲崎町
享和2年9月30日
1802-10-26
40 16 35 11:23 1 51 39 37 32 9 42 8 14 37 33 0
10 越後國頸城郡高田城下呉服町
新潟県上越市
享和2年10月5日
1802-10-31
38 59 58 11:31 1 27 13 37 7 43 40 27 11 37 7 0

 太陽の測定は真昼になるため、昼間の測量を中断して、子午線儀、象限儀を設置、測定後は撤収しなければなりません。上記の観測データを見ると太陽観測地では連泊していることが分かります。弘前城下、出雲崎町、高田城下での観測は測量日記には記載がありません。

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