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伊能測量隊の天体観測(解説)

はじめに

 当webサイトは伊能測量隊が残した測地度説人乃巻(第1次測量)、測地度説地乃巻(第2次測量)、北極高度測量記(第3次測量)、雑録(月食観測部分)に記載された天体観測結果データをまとめたもので、今後の研究の参考になることを期待して公開しました。
 2018年3月、故大西道一さん(工学博士、元東亜天文学会理事、2020年12月死去)によりまして「国宝 北極高度測量記(千葉県香取市 伊能忠敬記念館蔵)」の解析結果の記者発表が行われ、伊能測量での緯度の決定方法が明らかになりました。また北極星(こぐまα、Polaris)、当時の呼称「勾陳一こうちんいち」はほとんど観測していないことも分かりました。

大西さん
2018年3月1日銀座(東京)で行われた大西さんの発表風景

 現在でも多くの伊能研究者は「各地で北極星の高度と、多くの恒星の高度を測ることで、観測地の緯度を決定していた」。さらに「北極星=緯度」としている研究者もいます。大西さんは中国古星名と現在の星名が対応できる「天文星図(中国古天文與西洋星座對照圖)」を友人である元台北天文台長から戴いていたので解析できたと言われていました。この時点では測地度説に第1、2次の観測データが記載されていることはご存じありませんでした。また天文シミュレータでの裏付け調査もなされていませんでした。
 我々「伊能測量隊の天体観測を考える会」は大西さんの研究成果をさらに発展させ、このようなDBシステムを構築し、webでの情報発信となりました。

天体観測の方法(実態)

 下の「夜中測量之圖(浦島測量図の部分)」は文化3年3月14日(1806.5.2)第5次測量での倉橋島鹿老渡浦(広島県呉市)で天測している風景です。天体観測方法も間違って説明されていますので、この図を元に詳細に説明します。

夜中測量之圖
呉市入船山記念館蔵

1. 夜中測量之圖から分かること

 測量日記によれば「此の夜晴天測量」とあり、図中に描かれた星座(4)は参宿しんしゅく(オリオン座の一部)です。
 描かれた象限儀の掛柱に取付けられた望遠鏡の傾きから、天文シミュレータで確認すると、西の地平線近くにあたり、時刻はほぼ20時です。
 この直前に南中したのは軒轅十四けんえんじゅうし(ししα)1等星のレグルスと思われます。高度68度50分(赤緯12度54分37秒)と望遠鏡の傾きから推測、きわめて写実的に描かれています。
 画家も天文学の素養があったことが伺えます。

 さらに注意して見てみましょう。子午線儀下で南中する恒星の忠敬さんの視線の先、更に書記の2人の視線の先は軒轅十四でしょう。
 そして、忠敬さんが「軒轅十四南中」と声を上げたのでしょう。見物人達は忠敬さんを振り向きました。
 観測者を含め見物人も皆南向きであることに注意してください。1次から3次までの現存する観測データの解析結果、77.3% は天頂より南向きで観測されているため、基本は南向きで観測されていたことを表しています。
 故渡辺一郎さんを含め多くの伊能研究者は象限儀は北向きとしています。天文学的に検証がなされず、思い込みで述べられたものです。

 参考:「伊能忠敬が瀬戸内海測量で使用した天文測器と夜中測量之図の観測地」著者:中村 士氏
     出版社:伊能忠敬研究会


2. 描かれている星座

 上図の通り参宿しんしゅくです。古来日本では鼓星つづみぼしと呼ばれていたとのことです。

参宿オリオン座

3. 参宿と冬の大三角形

冬の大三角形、参宿  伊能忠誨ただのり(忠敬さんの孫)が残した「恒星全図」でも確認できます。
 1等星の参宿四(ベテルギウス)、参宿七(リゲル)。冬の大三角形である最も明るい1等星のシリウスは天狼、同じくプロキオンは南河三です。


参宿
国宝 恒星全図部分(千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵)

天測機器

(1) 子午線儀

 子午線儀は恒星の南中を確認するものです。南向きであれば南中ですが、北向きの場合もあり、正中、方中が使われていたようで、当サイトでは正中とします。
 宿泊地で日暮れ前に、正確に南北にそれぞれ2本の柱を設置。柱は南用と北用があり、下図の通り、糸(紐)を張りました。

子午線儀  正中の確認は子午線儀の下に潜り込み、片目を閉じて A, B, C 3本の糸が1本に重なる位置に身体を合わせて、恒星の通過を待つことになります。
 これには星座盤が頭の中になければなりません。冬至を起算日として、今日は冬至から何日目だから、この順序で恒星が正中すると解っていなければスムーズに観測できません。また近日の正中順序、観測値も参考にしたはずです。
 は子午線儀の柱を垂直に保ち、紐を張るために使用している道具と推測。
 燭台(カンテラ)は紐を照らしています。
 火鉢は燭台の火が消えた時のため、すぐに使えるように炊き置きしてしているものだろう。燭台は象限儀の目盛の読取り、書紀座で帳面を照らすなど、この図では3器を使用しています。
 この図では正座ですが、子午線儀下に北枕で仰向けで観測していたと推測しています。2~4時間も正座での観測は辛いのではないか?
 また楽な姿勢の方が観測誤差も小さいと思われます。忠敬さんが正座で観測しているのは見物人が大勢居たからではないだろうか?



(2) 中象限儀

 恒星の高度を測る装置で、全国測量に携行し、忠敬さんの率いる本隊で、子午線儀と共に使われました。

中象限儀  図のように大掛かりなもので、回転角を読み取る目盛盤のついた半径約115cmの四半円の掛柱、これに沿って回転する望遠鏡からなっていました。
 象限儀の目盛は1/4円を1から90まで目盛り、1度の間を6等分、さらにその線の間の斜線(ダイアゴナル目盛)を書き込んで10秒単位まで計れるように工夫していました。しかし90度(天頂)までしか計測できません。観測する恒星が天頂を超えると180度回転させていました。この図を見ると2人で少し持ち上げて回転させていたようです。
 目盛りの読取り係も燭台を持っていて極めて写実的です。
 主柱(立柱)をどのような台座で支えたか、この図では分かりません。

 以下の図は左から伊能忠敬記念館蔵のレプリカ、伊能洋さんが描いた中象限儀、同じく大象限儀です。
 記念館蔵のレプリカの台座では正確な高度は測量できそうにありませんが、運送は一番楽にできそうです。その隣の中象限儀は記念館蔵のレプリカより台座はしっかりしています。台座ごと回転させなければなりません。
 大象限儀は隠居宅に常設されたようです。運送し簡単に組立て分解はできそうにありません。

大・中象限儀
望遠鏡入船山象限儀
 象限儀に取付た望遠鏡入船山記念館蔵の図から復元した中象限儀

(3) 記録係

記録係

 測量機器ではありませんが、記録係も重要な役目です。記録係の机には帳面、硯、算盤、燭台が描かれています。
 記録係は子午線儀担当の「軒轅十四正中」の声で恒星名を帳面に記入、象限儀の望遠鏡で軒轅を狙っていた者が「捉えた」の声で、高度目盛りを見ていた者が「68度50分10秒」の声を上げる。
 2人でチェックしながら恒星名称、高度を記載。1日20~30星程度の観測であり、近日の観測結果から観測した恒星の隠宅の高度は暗記していて、極差を暗算で求め記載。算盤は最後に観測した全恒星の極差の平均値を求めるために使いました。この平均値を元に、この地の緯度は忠敬さんが決定して赤書きしたものでしょう。
 右の記録係は赤筆を持っているような、この時点では早いようですが?
 左の人物は若く見えるので忠敬さんの息子の秀蔵ではないだろうか?

極差:恒星の観測値と隠居宅での観測値との高度差、すなわち緯度の差となります。


測量機器の設置位置

 天体観測「夜中測量之圖」を参考に測量機器、人員の配置図を以下に示します。
 忠敬さんをはじめ内弟子5人で測量したと推測します。天体観測は最低でも3人は必要でしょう。

機器の設置
緯度の決定方法 next

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