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伊能忠敬が実際に歩いたと思うだけで何か興奮してくるから不思議です。
ご連絡概要(2016年3月18日)
南伊豆町は、伊能忠敬が、三浦半島から伊豆半島東岸を南下し、西海岸を三島まで測り、その後房総半島を測量して、青森まで行った第2次測量の際に測量に来ている。旧暦で1801年5月17日から21日まで訪れています。
私が住んでいる湊は、昔は湊村と呼ばれ、おそらくタライ岬から弓ヶ浜を経て、手石まで測量しているのでありましょう。
その前日の測量日記に私の祖先の名主坂野源治郎、並びに年寄六人が宿舎に見回りに行ってます。つまりは、翌日以降の測量場所の事前レクチャーをしたのだろうと思います。
私が住んでいる湊は、昔は湊村と呼ばれ、おそらくタライ岬から弓ヶ浜を経て、手石まで測量しているのでありましょう。
その前日の測量日記に私の祖先の名主坂野源治郎、並びに年寄六人が宿舎に見回りに行ってます。つまりは、翌日以降の測量場所の事前レクチャーをしたのだろうと思います。
伊能忠敬e史料館のコメント
伊豆はことごとく山道で、測量器のため長持が重く、人足も大変であった。そんな中これより先も険しいというのが、そのレクチャーの話であったので、長持の中から大方位盤を深川に届けてくれるよう宿主にことづけた。
ところがなかなか届かなかったので深川に戻ってから大騒動になった、ということが測量日記に記録されております。
ご先祖様のお話が伊能測量に貴重なノウハウを与えたようです。本件は36番の方から続伸です。
ところがなかなか届かなかったので深川に戻ってから大騒動になった、ということが測量日記に記録されております。
ご先祖様のお話が伊能測量に貴重なノウハウを与えたようです。本件は36番の方から続伸です。