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文化6年11月25日、岡山矢掛

ご連絡概要(2016年2月25日)

 旧矢掛本陣石井家文書「御用留帖」には、文化2年、同6年に先触状が届いているようです。文化2年の内容は、江戸を出発してからの道のりや測量の計画が記してあり、本陣石井家の後、当時の矢掛の村・組(19ヶ所)の大庄屋、庄屋、組頭に伝達されています。  旧矢掛脇本陣髙草家は現在も続いており、現当主もお元気でいらしゃいます。併せて、本陣石井家の方も現当主はお元気でいらっしゃいます。お二人とも矢掛にはいらっしゃいませんが、本陣・脇本陣共に建造物も現存しております。私自身色々勉強することができて嬉しいです。

伊能忠敬e史料館のコメント

「御用留帖」を撮影した画像をお預かりしました。それに拠ると、当初の計画では第五次測量~第八次測量は第五次測量として一筆書きで西国を測量しようとしたという大谷亮吉「伊能忠敬」の説明のとおりの地元史料です。当初の3年程度の見通しが11年になってしまいました。

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