システムの注意事項 (執筆中)

DBの基本データ

● 本データベース(当サイトではDBと略)は伊能測量の第1次、第2次、第1次測量で記録された以下の史料を基にDBシステムとして構築しました。
 測地度説人之巻(第1次測量)、測地度説地之巻(第2次測量)は写本で国立国会図書館蔵。
 極高度測量記(第3次測量)は原本で千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵。

● 史料に記載されている恒星名称は中国古星名となっています。現在名称との対応は故大西一道さんの資料、忠誨ただのり(忠敬さんの孫)が残した恒星全図、赤道北恒星図、大方星図(いずれも伊能忠敬記念館所蔵)と天体シュミレータ(Stellarium V1.2、無料のオープンソースソフトウエア)で検証して決定しました。

● データ化にあたって、旧漢字は現在使える漢字コード(JIS第一水準、第二水準、第三水準)に置き換えています。

● 恒星名称の表記は揺らぎや、誤りと思われるものがあります。
  星名やデータの正確性
 1 非常に稀ですが、極高度測量記にも記録ミスがあります。
 2 測地度説はさらに複写ミスもあるとはずです。
 3 さらに我々が電子化する時点でのミスもあります。
 1, 2 については天体シュミレータと比較して、気がついた場合は修正し、備考欄に誤りと記載しています。
 3 は気がついた時点でDBを修正していますが、約4千件弱のデータであるため潜在ミスがあるはずで、今後も修正して行きます。
【例】
 斗宿一など単に斗一と宿の省略が見られます。
 河鼓二(アルタイル、彦星)など代表する星は単に「河鼓」、勾陳一も「勾陳」と数字の省略が見られます。
 勾陳を句陳と表記している箇所もありました。
 一(いち)、四(し)、七(しち)と発音していたようで、一を七としたり、四を七としたりした箇所もありました。記録者の聞き取りミスと思っています。


DB化で気づいたこと

● 200年前の伊能測量隊の天体観測は現在の機器に比較して精度はかなり劣りますが、人工光はほとんど存在しません。大気汚染もなく天体観測には絶好でした。
 正中すれば1等星は当然ながら暗い星まで観測しています。
● 観測時刻は、通常日没後1番星が見えだしてからの1とき(約2時間;10~30星)。
● 時々未明からの観測もあります。
● 能代では一晩に80星、約9時間(19時 ~ 4時)の猛烈な観測をしています。


● 第3次測量の出発直後で下表の通り徹夜(pink部分)だったと思われる日が散見されます。

経過日 和暦
享和2年
西暦
1802年
出発 時刻 到着 時刻 宿泊地 開始 終了 備考
1 6月11日 7月10日 五ッ前 6:00 八ッ前 14:00 草加宿 6 2:58 3:19 「此夜曇る。翌朝雲間小測」
2 6月12日 7月11日 六ッ半 5:15 八ッ 14:20 粕壁宿 16 21:26 23:12 「此夜晴。測量」「平山郡蔵服薬失念、此夜五ッ半頃駅次にて相届」観測開始が遅いのは郡蔵が忘れた薬が届くのを待っていたからと推測
3 6月13日 7月12日 六ッ 4:00 八ッ半 15:30 栗橋宿 8 20:09 20:48 「此夜晴天、測量」とあるが8星だけ疲れたか?
4 6月14日 7月13日 六ッ後 4:20 九ッ後 12:05 間々田宿 10 2:28 3:12 此夜暁に測量。
5 6月15日 7月14日 六ッ後 4:25 九ッ後 12:05 石橋宿 大雨八ッ半頃に至る。夜も亦曇る。
6 6月16日 7月15日 六ッ後 4:25 八ッ 14:10 宇都宮城下 19 19:57 22:01 「此日曇る夜晴測量」

 江戸から宇都宮間はほぼ真北であり、この間の宿場での観測は第2次で草加、幸手の2ヶ所だけです。緯度1度の距離の決定にはもっとデータが欲しかったと推測。徹夜をしてでも観測したかったのでしょう。

▲このページのトップへ