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伊能測量が測った星々(その6;能代)

 享和二年六月十一日(西暦1802年7月10日)、伊能忠敬は北国筋海辺測量に出発し、奥州街道を測りながら北上して白河から会津若松、山形、秋田をへて七月二十三日能代に四ツ後というからお昼前に到着した。
 この能代では経度を捉えるための日食測量が予め予定されていたことから、この日から八月四日まで都合11日間も逗留した。この間、天測は二十三日、二十四日、二十五日(太陽)、二十六日(太陽)、二十八日、二十九日、三十日、八月一日(太陽、日食)、八月三日(太陽)という具合に殆ど毎日実施した。
 日食は結局天候に恵まれず成功しなかったが、星を測ることについては二十四日など一晩に80個もの恒星を翌日の明け方迄休み無しに測っている。

     

能代での天測の範囲
 夏の夕方、真っ赤に輝くアンタレスという1等星をサソリの心臓あたりで輝かせている中国星座名の心宿一の左上に輝くへびつかい座の頭に相当する中国星座名のから測り始め、夏の代表的な星座であるいて座こと座わし座はくちょう座、その後、秋の代表的な星座であるみずがめ座ペガスス座アンドロメダ座カシオペア座という二つの季節を一網打尽に測っている。にも拘わらず翌日も太陽の南中を測っているのである。しかし、忠敬先生はこの日から持病が再発してしまい、翌二十六日の夜には上司の堀田候の夢を見てしまったと日記に書いている。

天測の実態はこの星座盤をクリックして下さい。

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