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伊能測量が測った星々(その3;夏の大三角)

銚子での実測の実態

 享和元年七月十八日(西暦1801年8月26日)、伊能測量隊は本州最東端の銚子に到着した。この銚子で伊能忠敬は、伊能測量の目標である a.緯度一度の地表の長さを求める ことと、b.日本列島の輿地の形を描く ということが、採用した測量方法(導線法、交会法、天測)で達成できるかどうかを見極める最も大事な地点であると考えたらしい。具体的には、本州最東端の位置をはっきりと捉えるため、地表の北極星と位置づけた冨士山の方位を測ること、その本州最東端の地点の緯度を精密に天測するということを意図していたようである。 しかし、到着後5日間は雨が続き、天測も富士山の方位測量もままならなかった。到着後6日目になってようやく晴天になったが季節はまだまだ残暑厳しい時期であることと、銚子からの富士は海を隔てているため濛気が多くて遠測できなかった。その後も晴天が続いたがうまくいかなかったところ、9日目の早朝にようやく冨士山の方位を測ることが出来た。
“そのよろこび知るべし。予が病気も最早全快にに及べり”
と測量日記にしたためたほど大喜びしたのであった。また、天測についても、3日続けて同じ星を繰り返し繰り返し測るという念の入れようであった。

     

銚子・飯沼での3回にわたる天測の実測データ       

天測の星の88星座での範囲

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