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東日本の博物館、図書館等

成田山仏教図書館

戦前に古書店から購入された。ほぼ同時期に、重文・住吉物語、佐倉城下の図とともに購入されており、佐倉の堀田家の旧蔵品ではないか、といわれているが確証はない。良質な写本である。針穴はない。

成田山

関東・伊豆の部分

彩色は淡彩であるが、完成度が高く、地図合印はすべてそろっており、天測箇所も記入されている。経緯線は細かなスペースまで省略せずに引かれていて、例えば、東京国立博物館の中図」では、富士山のすぐ北およびすぐ南の狭いスペースには経線が引かれていない、成 田山仏教図書館の「中図」では描かれている。緯線でいうと、伊立半島の内陸部には東京国立博物館の「中図」では引かれていない、成田山仏教図書館の「中図」では内陸部の狭い場所にも緯線が描かれています。記載されている地名もこちらの方がやや多くなっている。

伝来は不明であるが、昭和15年 (1940) に古書店・宇宙堂から購入され、前後して同書店から「佐倉城下の図」と「住吉物語j(国指定重要要文化財) が購入されている。確定はできないが、いずれも大名道具なので、本図は成田山の近く佐倉の藩主だった堀田家の旧蔵品の可能性が高いと考えられる。藩主の堀田正睦は天保12年(1841)西の丸老中から老中を拝命し、天保14年(1843)辞任の後は藩政を改革し、蘭学・兵学を奨励した。安政2年(1855)には老中首座に再任され、日米通条約をハリスと協議しましたが勅許が得られず、将軍継嗣問題で井伊派に敗れた。そのような正睦の履歴からすると、「伊能図」の模写図を制作させた可能性は十分にあり、加えて、堀田家は戦前に一部財産の整理をしています。

成田山

静嘉堂文庫

カナ書き特別小図

来歴不明ながら国会図書館のカナ書き特別小図と同じ内容で、東日本、西日本を1枚とした伊能図がある。渡辺一郎が秋岡氏指摘の静嘉堂文庫蔵伊能図を調査中に発見した。針穴があり、丁寧な仕上げである。恐らく昌平校経由国会図書館に伝存するカナ書き特別小図の控え図であろう。大槻如電の蒐集によるもではなかろうか。

カナ書き特別小図

神奈川県立金沢文庫

古河歴史博物館

日本東半部沿海地図(部分

古河藩土井家の家老・鷹見泉石が隠居後自写した日本東半部沿海地図(沿海地図と略称されることが多い)の部分である。丁寧な写本で、筆写経過の記録も残っている。土井家は老中を務める家柄であった。泉石の隠居時には最終本伊能図が完成していた筈であるが、なぜ最終本を借り出さず、古い伊能図を写したか気になる。

奥伊能図(奥州・蝦夷地図の一部)

古河歴史博物館へリンク

高樹文庫

宮城県立図書館

宮城県図書館に伊能図があることを聞いて出かけたところ、学習院大学の中図だけしかないといわれていた領主名を記す中図五舗を実見して驚いている。

全体構成は、かつては学習院中図とおなじ五舗構成の沿海地図中図(普通沿海地図中図は三舗構成)と文化四年作成の畿内・中国図の組合せだったらしいが、沿海地図中図の蝦夷地と東北の北半分が紛矢して五舗が残っているものと推測される。軸装ずみ。

彩色は明かるく、青・緑系より橙色を意識させられる。描図・文字は優良という程ではないが粗略ではない。地名とともに領主名を付記している。ただ記入の簡便のため、例えば山川飛騨守知行所と書くところを、山川飛騨守ーーの如く書き、△△村と書くべき所をムムーー書いている。その他も考慮して、地図の仕上げは、学習院大学の中図より簡略である。本図は仙台藩伊達家に伝えられたものであるが、入手又は作成の経緯は不明である。写本で針穴はない。虫食いは多少あるが保存は良好である。蝦夷地・奥州北部が何故無いのかもわからないが、もしかしたら、明冶維新の後の奥羽戦争で持ち出されたのかもしれない。

合印は、宿場、城下、天測地点、郡界 、湊舟、神祠、寺院とも描くが手書きである。方位線、経緯線、接合記号もある。

  • 沿海地図第三 奥州の南半分    112,8 x 204cm
  • 沿海地図第四 東海・東山の東半分 206 x 122.5cm
  • 沿海地図第五 東海・東山の西半分 177 x 123.4cm
  • 沿海地図第六 畿内(奈良盆地含む)127 x 113cm
  • 沿海地図第七 中国沿海      126.5 x 207.5cm
宮城県立図書館

東京都立中央図書館

1998年に都立中央図書館で発見された。本州東部と日本西南部の伊能小図写本。大槻如電の来歴説明が裏面に記されている。阿部伊勢守が執政(老中首座)だったとき、天文方に命じて制作させたとある。非常に丁寧に制作された写本。天測地の印もある。

前田尊経閣文庫

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