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伊能測量史跡めぐり

●伊能忠敬ゆかりの地

【東京地区】

◎ 富岡八幡宮:伊能忠敬銅像
***伊能測量日記第3巻より
 寛政十二庚申年、閏四月 蒙台命、蝦夷地に下向しける道中の記。
 閏四月十九日 朝五ツ前深川出立。上下六人、伊能勘解由 門倉隼太、平山宗平、伊能秀蔵、下人佐原吉助、新に召かかえ候長助なり。此日朝より小雨昼後に止、深川八幡宮参詣。それより両国通り浅草司天台へ立寄、高橋先生にて御酒を給。
 伊能忠敬は測量に出かける当日は、自宅近くの深川富岡八幡宮を参拝して測量の成功を祈った。これを祈念して伊能測量200年記念として平成13(2001)年10月に日本測量協会、伊能忠敬研究会等が建立した。測量への第一歩はここから始まった。
     

◎ 芝公園:伊能忠敬測地 遺功表
***伊能測量日記第8巻より
 文化二乙丑年、二月二十五日 西国・四国・九州・壱岐・対馬迄測量の命を蒙りて、高橋善助、市野金助、坂部貞兵衛、並、内弟子平山郡蔵、伊能秀蔵、門谷清次郎、永沢藤治郎、小坂寛平、其外上下十四人発足す。宵より雨降て暁に至る。六ッ後吉例なれば、平山郡蔵、伊能秀蔵、門谷清治郎、永沢藤治郎、小坂寛平を連て八幡宮へ参詣し直に出立す。雨止て曇天なり。大木戸にて高橋善助、市野金助、坂部貞兵衛と相会、直に大木戸より測量を初る
 伊能忠敬の第5次測量以降の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てました。明治22年に高さ8.58mの青銅製の角柱型のものが設置されましたが、戦災で失われたため、昭和40年に現在のものが再建されました。
     

◎ 葛西橋通り:伊能忠敬隠宅跡
 49歳で隠居し、50歳のときまさに50の手習いの諺を地で行くかの如く、下総の佐原から江戸に出て、天文・暦学を学び始めた隠居所跡。
     

◎ 浅草橋:暦局跡
 当時浅草にあった天文台。ここで忠敬翁は天文学を学んだ。
     

◎ 八丁堀:地図御用所跡
 伊能忠敬終焉の地。文化11年(1814)、九州地方の測量から帰った忠敬は、深川黒江町から八丁堀亀島町と呼ばれていた所へ転居。この屋敷の敷地は150坪ほどであったが、忠敬の居住地としてだけではなく、測量図を作成するための地図御用所として利用され。忠敬は地図が完成する前の文政元年(1818)に亀島町の居宅で死去したが、その後も忠敬の居宅は地図御用所として使用され、文政4年(1821)門弟や天文方の下役らの手により「大日本沿海輿地全図が完成した。
     

◎ 東上野:源空寺
 伊能忠敬墓。忠敬が高橋至時師匠の脇に葬ってくれと遺言したことから、孫の忠晦が浅草の源空寺にある高橋至時の墓地の脇に建てた。なお、忠敬の墓地はこの外に、佐原の観福寺(髪と爪を埋葬)と多古の平山家の墓地(平山家の養子から伊能家に婿入りしたことという縁でたてらtれた形式だけのお墓)にもある。
     


【房総地区】

◎ 九十九里町:伊能忠敬生誕地公園
 6歳のとき母を失い、10歳まで過ごした場所。
     

◎ 横芝光町:忠敬青春の地
 父(神保貞恒)の実家及び父の家(分家)があり、10歳~17歳まで過ごした青春の地。両家の前に「伊能忠敬成長の処」、「伊能忠敬の父 神保貞恒生活の処」の碑がある。
     

◎ 銚子:犬若岬
 伊能忠敬測量隊は、享和元年(1801)7月18日から9日間銚子に滞在した。銚子は太平洋に突き出た本州東端の地で、富士山・筑波山・日光の山々を目視できる。特に富士山の方位測定は、伊能測量の正確さを確かめるために重要だった。忠敬は7月26日の測量日記に「晴天、此早朝日出に犬若岬に於いて(中略)富士山を測り得たり。其の悦知るべし(下略)」と記している。忠敬は此の日で測量の精度を確認し自信を深めた。この測量を記念する記念碑が銚子市市制80周年記念事業として平成25年11月17日(日)建立された。
     

◎ 横芝光町:伊能隊天測地の碑
       

◎ 多古町:平山家墓地
 日本寺脇にあり、忠敬の第3の墓がある。
     


【佐原地区】

◎ 伊能忠敬旧宅
 
     

◎ 伊能忠敬記念館
 平成10年5月22日 新装開館
在来の伊能忠敬記念館は、佐原市にある伊能家の旧宅地に国費と県費の補助を受け、昭和36年落成した。 しかし、施設が古くなり、展示スペースや収蔵庫が手狭となったので、新伊能忠敬記念館が予算16億余を投じて新築された。
 佐原の町並みは重要伝統的建造物保存地区の選定を受けており、新記念館は忠敬旧宅前の小野川対岸に新築され、町屋・土蔵造りの外観は、佐原の町並みの景観によくマッチしている。
     

◎ 観福寺のcyukeibosho1
 
     

◎諏訪公園:伊能忠敬銅像
 大正8年3月の建立。製作者大熊氏広氏。像高3.3m。台座5.4m。
     

◎ 佐原の町並み
       


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