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伊能図序説

伊能図の表現、記号、注記

手書き地図の伊能図でまず目に入るのは彩色である。基本色は山地が緑、海面・湖沼・河川は水色、砂浜は黄色または橙色である。その他の部分に一部茶褐色を使う場合もある。街道と海岸の測線および遠山を見通した方位線は朱である。

平地は着色するものとしないものがある。彩色する場合は淡緑色あるいは淡いピンク色が使われる。彩色のうち緑色は色の濃淡が目立ち、また色調に黄緑系と青緑系の二種類があって、直感的な華麗さに大きな影響を与えている。東京国立博物館の伊能中図は典型的な黄緑系である。

地図記号(伊能図では地図合印という)は主に中図・小図で使われ、宿場、郡界、天測地点、国界、 港湾、 神社、 寺院、 陣屋、城などがある。これらの符号が全然ないものや一部書いてない伊能図は多い。全種類記入されている図は完成度が高いということができる。簡単な見分け方である。

なかでソックリ記入省略されることが多いのは天測地点☆である。美しい東京国立博物館の中図には残念ながら印がない

地名は沿岸部では海側から読むように書かれるが、内陸部では一定しない。郡名は一重の枠内に、国名は四角の二重の枠内に墨で書く。よい図は達筆の楷書である。地名は他の図と対比すると書き洩れも見つかる。地名採択の基準は明確ではない。

中・小図では太い墨線の経緯線が描かれる。これについても、緯線だけで経線がない図とか、なかには経緯線が全然ない図も見られる。東京国立博物館の中図では記入されているが、描画が錯綜した狭い部分には書込まないようにしている。

富士山など著名な目標に集中する方位線は、多くの場所で「遠山見通し」の目標としたことを示すもので、測定地からの方位が記入されている。測定した全方位角は「山島方位記」六〇冊余に記されており、非常に多いのだが、地図では密集するので数をしぼって描いている。

その他、中・小図では、解説と記号の説明を記した凡例距離、北極出地度(緯度)などの付表がついたものがある。これらは提出先に応じて編集して付加された付録で、標準的な記載事項ではないと思われるが、正本が確認できないので確かではない。

同じように、題名についても現存する伊能図では色々な名称がつけられているが、それらは受け取った側が適当な名前をつけたものである。正本ではどの位置に、どのような形で記されていたかは分からない。

正本と副本の違い

地図用紙を何枚か重ねて、その上に測量下図をおき、曲がり角に開いている針穴を針で突いて測線を写せば何枚かの針穴本を同時に制作することが出来る。当時、手書き地図を写すために針穴を使った例はない。原図を一枚つくり、これに複製する用紙をかぶせて敷き写すのが普通であった。

伊能図だけが初めから針を使って下図を描き、同じ針穴を突いて地図を制作した。複数枚のなかの一枚に、入念に沿道風景とか地図記号を書き込み、凡例・付表をつけて幕府への上呈本(正本)としたらしい。また一枚は、ほぼ正本に準じた形に仕上げて、控え図として伊能家に残した(副本)と考えられる。

伊能家に残っていた副本は、1961年(昭和36)にほとんどすべて、佐原市(当時、現在は香取市)の伊能忠敬記念館に寄付されている。そのなかの他の地図が依頼をうけていた諸侯にも献呈された。

諸侯への献呈図が正本と、どの程度ことなっているのかは分からないが、徳島大学所蔵図(徳島藩蜂須賀家に謹呈されたもの)のように、伊能忠敬記念館の副本よりも丁寧な仕上げの図が見られる。

手書きであるがゆえに、仕上げの程度には、用途と提出先によって多少の差がみられるのである。複数枚重ねて針穴を明けた地図紙を用いて、提出用(正本)、控え図用(副本)、諸侯への提供用(副本)等、用途に応じて、記入内容、彩色、付表、凡例、題名、識語などの、いわば完成度を若干変えて仕立てられたらしい。

したがって、伊能忠敬のグループが、下図の定稿図を写して作成した伊能図には、必ず針穴が残っている。逆に針穴があるものは、ごく一部の例外を除いて、伊能グループの作成と考えてよい。

伊能図の特徴

伊能測量は海岸線と主要街道のみが対象だったので、測線沿海街道に限られていて、その他の測られなかった部分は空白である。四国・九州など遠隔地の測量の帰路を利用して畿内、中国地方、中部地方の内陸部に測線を増やしたが、それでもかなり空白域が残っている。

補充測量の機会がなかった関東の北東部・奥州には特に多い。奥州には東西の横切り測線が一つもないが、遠山の見通し線だけで東西の関係位置を確定し、良くこれだけの地図にまとめられたと感心する。利根川は河口のみしかなく、霞ヶ浦や十和田湖は描かれていない。利根川流域の人たちが使うとしたら、全く役に立たなかったろう

伊能図は実測にこだわった地図であって、自身で測量しない部分を他の資料で補うということをしていない。唯一の例外は蝦夷地である。蝦夷地は忠敬の測量データだけでは埋まらないので、門人の間宮林蔵の測量データを利用している。

間宮は測量開始前、半年ばかりの間に七回忠敬を訪問して、天測をはじめ応用測量術を学習していた。同じように出現する。彼は忠実に伊能式測量を実行していたと考えられる。間宮の測量地域をながめると、随所に横切り測線、測量困難な半島部の片側測線、船による縄引き、など伊能測量の特徴場面が現れる。

もう一つの大きな特徴は、伊能図は国絵図と同じように手書き図だったことである。測線を朱で描き、両側に彩色した沿道風景を加えている。中図、小図では測量結果の確認のためにおこなった遠山の見通しの際に目標とした著名な山岳・島嶼・岬などの位置と遠景も書き込んだ。

正確な縮尺の測線と、絵画的に美しい仕上げが特徴である。描図形式は、制作時期、仕上げの精粗により若干の差がある。大、中、小図の特徴をまとめると次のとおりである。

大図では、測線に沿って城下・町並み・村落・田畑・原野・山景などの沿道風景を絵画的に描き、地名、国名、国界、郡名、郡界、宿駅などを文字で書き、領主名、領界も記す。一口でいうと測線のほかは絵画である。方位を測った遠隔地の目標も記すが、朱の方位線は描かない。天測地点は記号で示す。

中図では、測線に沿って地名、国名、郡名を記すが、国界、郡界、宿駅、神祠、寺院、港、天測地点などを記号(地図合印という)で表示する。沿道の風景は概略を記し、経緯線を記入する。方位を測った遠方の目標には朱の方位線を引き、測定地からの方位を記入する。多数の方位線は中図の正確さと華麗さを強調している。

小図は、形式は中図とほぼ同様で内容が簡略化されている。地名、郡名、国名を記し、国界、郡界、宿駅、神祠、寺院、港、天測地点などを記号で表示する。経緯線と遠方目標への方位線を記入する。そのほかに、中図・小図では、凡例、付表などを記入したものがある。

伊能図の見分け方

伊能図の内容を眺めてみよう。完成度を調べるポイントは、彩色・描画の丁寧さ、地名の脱落、文字の稚拙、地図合印、経緯線、寸法、凡例、付表、題名、天測地点の表示、接合記号などである。

手書き地図の伊能図で一番先に目に入るのは、なんといっても彩色である。彩色が丁寧なことが望ましい。特に緑色は、色の濃淡と、色調が黄緑か青緑かにより調子がすごくちがってくる。山景が丁寧に描かれ、濃い彩色で、緑が黄緑だと美しく見える。東京国立博物館の中図はその典型であるが、丁寧に描かれれば彩色の濃淡は好みの問題であろう。

朱の測線も拡大鏡で見ると、丁寧な描画と粗なものはすぐわかる。良い図は太さが均一で、キチント針穴を結んでおり、継ぎ目が目立たない。粗雑な描画では、測線が針穴から外れて描かれているものまである。

つぎは文字である。地名、郡名、国名を墨で書くが、よい図は達筆の楷書である。地図合印は主に中図・小図で使われる地図記号であるが、これらの符号が一部書いてない伊能図や、全然ないものもある。全種類記入されている図は完成度が高いといえる。比較的簡単な見分け方である。

なかでソックリ記入省略されることが多いのは天測地点の記号☆である。一番美しい東京国立博物館の中図には☆印がない。不思議なことだと思っていたら、2002年8月に、同じ東京国立博物館で発見された天文方・高橋景保から幕府の昌平坂学問所に提供された小図にも天測地点の表示は無かった。

これをどう考えるか。この小図は上呈本に限りなく近いと考えられるから、正式図には、中・小図に☆印は無かったのかも知れない。☆印が書かれた中図(イブ・ペイレ氏蔵)・小図(都立中央図書館蔵)が残っているから、完成度はこちらの方が高いということは言えるだろう。

そのほか、地名の脱落も、対比して調べてみると仲々面白い。結構たくさん落ちているのである。中・小図では経緯線の有無も注目点である。緯線だけで経線がないとか、全然ないものもある。また、書いてあっても、文字などが混んでいる狭い部分には書込まないようにした図もある。

著名な目標に集中する方位線は遠山見通し線の方位を示すものであるが、この本数が一定しないのである。富士山の場合、37本(東博中図)、38本(成田中図)、39本(ペイレ中図)と3種類ある。


凡例、付表はあったり、無かったりする。これらは提出先によって、あるいは写図の際省略されたもので、その図の成り立ちにも関係する。題名はないのが普通である。幕府が諸侯などに渡るのを黙認していただけであるから、さすがに忠敬は題名を付けてはいない。

三分図(小図)とか六分図(中図)と呼んでいる場合が合う。図名は受け取った方が勝手につけたものと考えた方がよい。名前から伊能図かどうかの判断はできない。東京国立博物館の小図はただ「日本国図」とあっただけであるし、東京都立中央図書館の小図は「神州 輿地全図」とあったから関係者にも分からなかった。

最後に接合記号のコンパスローズであるが、大変精巧に描かれたものから、枠だけで彩色のないものまで様々である。いいものは凝っている。図がよくても、コンパスローズの簡単なものは諸侯への正式な献呈図ではないと考えてよい。一番容易な伊能図の見分け方である。

なぜ針穴を使って制作したか

下図や地図の用紙は制作に先立って、一旦水につけ、そのあと徹底的に乾燥させて使っている。下図には描画のときの描画面の寸法を付記するなど、原稿図の描図および地図製作の途中で誤差を累積しないよう、細かな注意が払われていた。

地図制作に針穴を使ったのは測線の信頼性の確保にあったと思う。結果として複数枚重ねて写すことができたから、測線の精度の高い図を何枚か同時に複製することが可能であった。そのなかの一枚に、入念に沿道風景とか図の記号などを書き込み、凡例・付表をつけて幕府への上呈本としたのであろう。

また一枚は、ほぼ正本に準じた形に仕上げて、控え図として伊能家に残したと考えられる。また、あるものは依頼をうけていた諸侯にも献呈されたであろう。それゆえ、現在では伊能忠敬記念館に所蔵されている「伊能家控え図」と同等の仕上げの図を副本と呼んでいる。

 

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