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人物DBご連絡一覧

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73 伊能測量隊の天測データから止宿先を特定し、子孫を見付け出してくれました2016年6月23日

 文化6年9月4日、伊能忠敬一行は九州地方を測量するため中仙道経由で埼玉県の岩槻、蓮田市及び白岡市を測量して篠津村で宿泊した。止宿先は、本陣名主治兵衛、別宿四朗兵衛。
 この止宿先とその子孫を見つけようと「白岡の歴史を語る会」の皆 …
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72 江戸時代後期の画家「上田琴風(菊女)」に伊能秀蔵から書簡が来た。2016年6月17日

 第7次測量の際の文化6年12月18日、及び第8次測量の際の文化9年1月22日、小俣村枝台道にて中食を差し上げた宿庄屋上田庄蔵の子孫です。
 測量日記では「造酒屋にて家作よし、諸侯の休所。娘菊女筆道によし、画もなす」と書かれており …
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【伊能忠敬e史料館】
 ネットで調べましたら、「上田琴風(きんぷう)」が描いた
「周南佐野阪上真景図」が掲載されてありますね!

 秀蔵からの書簡を拝見するのが楽しみです。

71 「貞実に執持」、忠敬先生が吾が祖先に対しこのような表現を残してくれました。2016年6月7日

「駿河国駿東郡口野村 名主武兵衛 貞実に執持 此夜中暑 病気朝は愈」
 測量日記に遺されたこのフレ-ズを知り、武兵衛家に嫁げたことに心温まる思いで過ごして居ります。 …
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【伊能忠敬e史料館】
熱海市での公開講演においでいただきまして、ありがとうございました。

2次測量 享和元年5月29日 でした。 

70 文化9年6月12日(1812年7月20日)門川村枝尾末浦の止宿先2016年6月5日

宮崎県東臼杵郡門川町の所に出てくる、讃岐屋庄蔵こと黒木庄蔵は私の祖先ということです。
現在は父の黒木隆一(クロギ リュウイチ)が直系になります。
現在も家は讃岐屋と呼ばれており、祠の横にもうっすらと讃岐屋庄蔵と書いてあり …
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【伊能忠敬e史料館】
ご連絡ありがとうございました。
以下の通り、都合3日、お世話になっているようです。
7次(15巻)文化7年4月10日(1810年5月12日)尾末浦
宿舎 本陣 讃岐屋庄蔵 宿舎 木屋要蔵 被贈 高鍋侯使者秋月佐渡守家来 山口盛六
7次(15巻)文化7年4月11日(1810年5月13日)尾末浦
同所逗留測。赤水村天神前より庵川村小屋谷を歴て加草村海辺まで測る。庵川村唐船波石岬を片測。
8次(18巻)文化9年6月12日(1812年7月20日)門川村枝尾末浦
恒星測定
宿舎 黒木庄蔵 宿舎 木屋要蔵

69 文化7年3月27日から4月1日大分県佐伯市蒲江泊浦の止宿先 2016年6月5日

文化7年3月27日から4月1日(1810年4月30日から5月3日)に
蒲江泊浦の御手洗嘉蔵さんのところでお世話になったとの
記録があり、御手洗家のことではないかと推察しております。

御手洗家の当主 …
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【伊能忠敬e史料館】
測量隊が蒲江滞在の折
御手洗家がお世話した記述(御手洗家歴史の本:軸艪千里)のコピー
ありがとうございました。

68 建国神話の地の高千穂から連絡がありました!2016年5月29日

8次測量の文化9年6月19日の止宿先
宮崎県西臼杵郡高千穂町下野の本陣(佐藤新史郎)から五代目が実家の父です、
との連絡を受けました。
【伊能忠敬e史料館】
測量日記によれば
「この村に岩戸というあり、何の所謂か知らず」
と書かれています。
忠敬先生、天の岩戸伝説を知らなかったのでしょうか?
ちょっと解せないですね~!

お電話で確認しましたら、残念ながら、史料は残っていないそうです。

56 文化8年閏2月11日に記載の戸手村庄屋 延岡英治2016年5月25日

 広島県福山市の戸手村庄屋 信岡 だと思います。信岡家の古文書に、1811年伊能忠敬測量の方々を昼食で接待したことが記されており、献立も記載されています。
 戸手村の庄屋が昼食の通達を受けたのは2月9日…等。2011年に地元の公民 …
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【伊能忠敬e史料館】
平成28年5月25日

ご子孫の方から、
伊能測量隊のお昼を賄った内訳を記した書付を送っていただきました。
また、再現した献立の画像をご提供いただきました。


原文では「土」「延」となっており原文にしたがっています。よくある忠敬さんの間違いです。ご指摘の件は今後コメントを記載します。
 なお、信岡家で昼休みした翌日は、箱田村の測量隊員である箱田良助(五稜郭の戦いで有名な榎本武揚の父)の実家に宿泊しました。

67 大阪市渡邊邸保存会からお知らせを戴きました2016年5月22日

 大阪市最古の民家「渡邊邸」には、伊能測量第5次の文化2年10月1日宿泊しました(止宿 渡辺市三郎)。
 この渡邊家は大江山の酒呑童子退治の逸話で有名な渡邊綱の子孫が江戸時代初期に構えた屋敷と伝えられ、大阪府の民家2大阪府文化財で …
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【伊能忠敬e史料館】
測量日記で確認できました。

伊能忠敬歿後200年顕彰会を介して、伊能忠敬と渡邊邸とが縁で結ばれていたことが未来に向かって語り伝えられるようにと願っています。

1 享和元年6月26日に宿泊した金谷村、名主 四郎右衛門の子孫です2016年5月15日

 代々四郎右衛門を襲名しておりました。以前伊能忠敬の当時の足跡を調べるTV番組で江守徹さんが来たことがありました。 …
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【伊能忠敬e史料館】
5月15日、表敬訪問してまいりました。
居宅は国登録有形文化財でもあることから、門扉に案内板が掲示されており「伊能忠敬が宿泊した」ことも明記されておりました。

大庄屋でもあったことから、多種多様な古文書が遺されており、
千葉県の文書館にも預けてあるそうなので、別途、調査することにしております。


66 福岡県小竹町 長崎街道の町筋で江戸時代から酒屋を営み2016年4月29日

8次 測量日記第23巻文化10年10月7日(1813年10月30日)に
「昼休 立場小竹酒屋 兵太郎」と記載の兵太郎の子孫です。

 当主は代々「兵太郎」を名乗っており参勤交代の大名御小休処にもなっておりました …
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【伊能忠敬e史料館】
伊能図の測線によれば、現在の200号線沿いを測量しているようでございます。

ところが、文化10年10月7日の日記では特段測量しておらず
遠賀川を船で下っており、その途中、立場小竹酒屋 兵太郎で昼休みをとったようです。
一方、この近辺の測量は、文化8年2月2日に測量しており、
その際の昼休みも小竹で「又五郎」とされております。

「平太郎」家と「又五郎」家との場所関係はお分かりになりますでしょうか?
 いづれにいたしましても、その節は、伊能測量隊がお世話になりました。忠敬翁に代わりまして、御礼申し上げます。


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