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91 土佐清水・大津の「上岡弁之丞」というのが一族です2017年1月26日

一族の者が忠敬日記に出てくることを知り、忠敬に非常な親しみを感じるようになりました。土佐清水・大津の「上岡弁之丞」というのが一族です。充実したHP内容に敬意を表します。

【伊能忠敬e史料館】
日記によりますと、
第6次測量、文化5年6月8日、
測量隊は二手(先手と後手)に分かれて測量を行い
大津浦庄屋上岡家には伊能忠敬を隊長とする後手がお世話になり
一方、先手の坂部隊は小才角浦の庄屋川内民之丞家にお世話のなったようでございます。
ご連絡を頂きましてありがとうございました。

90 享和3年8月3日十村大庄屋高橋庄右衛門の子孫です2017年1月19日

私の実家であります高島は十村高島の分家であります。
先祖は近江国佐々木の一族と称され、戦を逃れて五十里村に根を降ろし、後、十村大庄屋を努めたと言われて居りました。
この度、問い合わせを頂くまで伊能忠敬なる方とお会いしてい …
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89 文化5年8月26日浦奉行代官役兼森田五右衛門の子孫です2017年1月19日

私は、昨年2月毎日新聞に「伊能図測量支援子孫よ集まれ」の記事を見まして一度お電話を差し上げた者です。その後何の連絡もしないで大変失礼をいたしました。
私もご先祖様の事を少しずつ調べていこうとさまざまな資料を集めています。
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【伊能忠敬e史料館】
危うく消えてしまうところでして貴重な史料を買い戻していただいたとのこと、伊能を研究している者として感激いたしました。
今後共よろしくお願い致します。

88 上天草市樋島;大庄屋藤田家は私のルーツです2017年1月14日

第1便;実家が熊本にあるのですが、測量の時に、私の実家に宿泊されたということを母から聞きました。ちなみに、実家は400年以上の歴史がある浄土真宗の寺院で「観乗寺」といいます。現在の上天草市龍ヶ岳町樋島にあります。

第2 …
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【伊能忠敬e史料館】
伊能測量隊は間違いなく「上天草市龍ヶ岳町樋島」を測量しております。
文化7年(1810年)10月26日~28日です。
でも、残念ながら、宿泊先は観乗寺ではなく「大庄屋 藤田左仲太」となっています。

87 垂水村大庄屋の小野兵治郎の子孫です。2016年12月8日

 東京大学史料編纂所に「赤穂義士関係文書」として、赤穂浪士の一部が赤穂と京・江戸とを行き来するとき小野家を旅宿にした経緯に関わる文書4点が陰影版として保管されていることがわかりました。
 当時、伊能忠敬など明石を通過して旅する人た …
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【伊能忠敬e史料館】
 「垂水村にて大庄屋小野兵治郎出る」ということは、測量する場所の状況の説明等してくれたに違いなく、そのことによって歴史的な偉業が出来たのだと思われます。

86 享和元年10月1日、宮古での測量に付き添った肝入(茂兵衛)の子孫です2016年11月29日

我が家に古文書が残っており、当日の様子が次のように表現されております。
一、 八月廿八日、公儀御役人伊能勘解由と申御人、仙台塩釜より先触也。
測量為御用上下六人、外に加籠壱丁、長物壱竿・本馬壱疋・軽尻壱疋自参加候所にて道 …
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【伊能忠敬e史料館】
臨場感あふれる古文書で感動しております。
ありがとうございました。

85 7次山川の止宿先の「大迫けさ」の子孫かも知れません2016年11月23日

私の五、六代前の先祖に大迫清右衛門(正右衛門)という者がおりますが、薩摩の山
川村の者で、安政4年に沖永良部という離島に島代官として薩摩から赴任しておりま
す。この時代に名字があったということから、下記の、山川の「大迫け …
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【伊能忠敬e史料館】
今の山川金生町というところに天測の印が有りますので、間違いないと思われます。
ご連絡ありがとうございます。

84 6次 文化5年8月26日見舞使者に出た森田五右衛門の子孫です2016年11月22日

いろいろと史料もあります。
【伊能忠敬e史料館】
その史料、是非、見せてください。
ところで、ご連絡いただいた電話番号が非通知だったようで、
森田様の連絡先電話電話番号が当方の携帯に表示されません。
サイドの連絡をお願い致します。

83 岡山の宿泊先の福岡屋吉郎平衛というのは、たぶん私の先祖です。2016年11月15日

私は岡山市の出身で、育った当時(昭和32年生)は岡山市児島町、
今の岡山市天瀬南に住んでおり、
家は菓子問屋宮城製菓を営んでいました。
そして、子供のころからいつも、父より、
家が福岡屋吉郎平衛の子孫 …
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【伊能忠敬e史料館】
この度は、大朗報をありがとうございました。

伊能測量において宿泊日数最長はご連絡いただきました岡山の脇本陣福岡屋吉郎兵衛でございます。
この「福岡屋」には
1806年1月20日~3月6日、
1809年12月28日、
1811年4月21日、
1815年1月31日 と

計4回、のべ1か月半も滞在しております。

82 第八次 文化九年七月四日 挨拶に出た医師の園田元鑑の子孫です2016年11月15日

伊能忠敬が玖珠町を測量した際に元鑑が医師として随行したというのは伝え聞いております。
伊能図を初めて見たのは稚内市の丘の上にある展望塔兼資料館のでした。その正確さには驚かされました。


【伊能忠敬e史料館】
文化九年七月四日(1813年8月10日)、伊能測量隊の第八次(九州第2次)測量の際に
玖珠郡日田戸畑村から六つ後に測量を始め、森町に4つ後という極めて早い時刻(まだ午前中)に到着し、
本陣である森町の年寄「山上伝左衛門」、脇宿は同じく加藤市郎助に宿を取りました。
なぜ午前中という早い時間に森町についたのにそれ以上の測量をしなかったかといえば
実は、途中から手分けした支隊と此処で待ち合わせていたからなのです。

そのような時空において挨拶にまかり出たのが医師の園田元鑑でした。
残念ながら、園田元鑑について、挨拶にまかり出たこと以上のことは日記には残されておりません。
園田様の情報で「医師として随行」ということだったのですねぇ~!


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