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伊能忠敬はこの地を測量した

内の浦

探査機「はやぶさ」を打ち上げた内之浦宇宙空間観測所の所在地である内之浦をフリー百科事典「ウィキペディア」でアクセスすると「1810年 - 伊能忠敬らが内之浦の測量を実施」と紹介されていた。

そこで伊能忠敬測量日記を紐解いてみたところ、
"文化7年6月11日(西暦1810.7.12)、先後手6ツ後岸良村出立。

後手我等、青木、簗田、箱田、長蔵、岸良村窪田川向より初、字川口、字宮原を歴て、岸良村・南浦村境迄測(一里十八町十九間)。
それより字永坪(海辺人家あり)行、乗船して八ッ頃、内ノ浦(浦町)へ着。

先手坂部、下河辺、永井、上田、平介、岸良村・南浦村界より(字宮原と云)南浦村枝永坪迄横切を測。それより海岸添の山の中腹を測。南浦村字日崎、先月十七日残印へ繋(二里十町三十九間)。
七ッ半頃に内浦(浦町)へ着。"と書かれていた。

そこで、この日測量したデータを元にして制作された伊能図を見てみた(朱線が測量ルート<測線>)。

この測線を国土地理院の現在の地図に重ね合わせてみたところ、ロケットセンターのすぐ脇を測量していることが分かった。その測線は現在でも道なき道のようであるが、当時、測量隊に付添った地元の人の子孫にも「道なき道を測量した」と言い伝えられていたそうである。

ところで、「リヤカーで日本沿岸一回り」をしている「平成の伊能忠敬」こと鈴木康吉さんも、平成28年7月4日にこの地を訪れていました。


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